英国の鉄道ポスターについて
海外鉄道研究会会長 小池 滋
鉄道ポスターの芸術性
今日の話は少し芸術がかった話です。今年は在日英国大使館がイギリス祭を全国的に開き、展覧会や音楽会を行う予定で、すでに東京ではテイト・ギャラリーとかコートルド・コレクションなど、幾つか絵の展覧会が始まっている。神戸ではスチーブンソンのロケット号を走らせるなどのイベントがあるらしい。海外鉄道研究会もそれに便乗する訳ではないが、イギリスの商業美術に関連した鉄道ポスターを話題にしたい。
去年、東京ステーション・ギャラリーで、イギリスのヨーク鉄道博物館所蔵のポスター展が開かれ、後に宇都宮市美術館や神戸の阪急美術館でも開催された。皆さんの中で現物をご覧になった方はお気付きでしょうが、これは高い芸術性を持っている。日本に持ってきたのはヨーク鉄道博物館所蔵のポスターのごく一部であるが、それすらかなりの芸術性があって驚かされる。これ以外にも、例えばLondon Transport、すなわち地下鉄・バスなどを運営するロンドン交通営団のポスターは注目に値する。
かつての英国鉄、すなわち多くの私鉄が1923年に四大鉄道にまとまり、さらに1948年からBritish Railwaysという公共企業体になり、ごく最近、1990年代の中頃から民営に移って行った。これらの鉄道の商業ポスターのカタログは、昨年、先に述べた日本の3カ所の展覧会で売られたもので、今でも東京ステーション・ギャラリーで買えると思う。内容は、歴史的に、時代順に並べてある。
最初は19世紀中頃のポスターである。本来ポスターは大勢の人に対する情報伝達の手段であった。例えば何月何日には列車が運休するとか、あるいはこういう特別なイベントを行うとかを知らせる手段であり、別に美しい絵を使う必要はなかったが、それでは一般の人は満足しない。かつて日本ではお上が民衆を汽車に乗せてやる態度であった。しかしイギリスは民営鉄道であったから、各鉄道が競争し合い、サービス向上による旅客誘致を図った。従ってポスターは単なる情報伝達の手段ではなく、お客の関心を引くため、視覚的に訴える美的なメディアでなければならなかった。それも1回だけ誘致すれば良いというのではなく、2度3度行かせるようなポスターにする必要があるため、ポスターそのものの美しさが求められた。そのためプロの画家やデザイナーが雇われた。これは最初は高くつくが結果的には客を呼んで利益が上がった。
各私鉄は芸術家に依頼して、優れたポスター作りで競争した。それが一番華やかだったのは、1923年から第2次大戦までの四大鉄道並列の時代であった。しかも日本とは異なり、戦争中もポスターの芸術性は無視されなかった。戦時中の日本のポスターは、鉄兜や鉄砲など、戦意高揚のものばかりであったが、イギリスの戦時中の鉄道ポスターは国民をうまく国の政策に乗せるように配慮された。
ロンドンのウォータールー駅(今はユーロスターが入って大分変わった)の戦時と平時の一対のポスターがある。しばらく前に「駅の社会史」"The Railway Station:A Social History"という本がOxford University Press社から出された。そのジャケットにこれが使われており、微笑ましい感じがするが、実は戦意高揚を図っている。つまり鉄道は平和時も戦時もがんばっていることをさらりと訴えているのである。これがバインダーとして観光用にも売られていて、このように鉄道ポスターが100年以上の歴史を持って重要な役を果たしている。ポスターは単なる金儲けの手段ではなく、民衆芸術の一部門として考えられている。日本の鉄道はまだその高みには達していない。日本でも外国と車両などハードの面で競争するばかりでなく、鉄道ポスターでも競争して欲しい。そうすれば日本の鉄道ポスターの芸術的水準が高まるであろう。PR戦略の効果にイギリスの鉄道ポスターがいかに進んでいるか、皆さんが目で味わって下さい。
London Transport(LT)のポスター
ロンドン市内交通は最初は民営で、乗合馬車から始まり、後にバス、地下鉄、市電と発達した。これが統合されて1933年(昭和8年)に地域独占型の公共企業体になった。1948年の鉄道国有化の際もロンドンの交通だけは除外され、独自性を保った。このようにロンドンの都市交通は古い歴史を持ち、そのポスター、商業デザインは優れた成果を上げている。LTにはその面の特別なスタッフがいて、力を入れ、優れた作品を生み出している。残念ながら日本ではその資料が簡単には入手できない。つい最近"Quality Britain"という雑誌が英国大使館から出され、紀伊国屋が発売しているので、一般の書店でも扱っていると思う。
前述の通り、今年はイギリスの年なので、その宣伝活動の一環であるが、この雑誌に紅茶やウイスキーなどの外に、LTのポスターに関する記事が1ページ載っている。ノース・ヨークシャーの保存鉄道の話も出ているからご覧下さい。
ここに紹介する地下鉄のポスターは、イベントを紹介する種のものではなく、一見何か分からない。現在、上野の都美術館で英国のテイト・ギャラリー展を開催しているが、このポスターは「テイト・ギャラリーに行くには地下鉄利用が最も便利」と言っている。よく見ると絵の具のチューブから絵の具がニョロニョロ出て、各路線の色分けを絵の具でやっている。このラインをたどっていけばテイト・ギャラリーに行けることを示しているのだが、このチューブは地下鉄のチューブの意味も含む洒落でもある。
ほかのポスターも芸術的にすぐれ、かなり有名な画家が描いているので、絵そのものを見るだけでも楽しい。これには大変深い歴史と伝統がある。最近は日本でもあまり露骨な宣伝臭のあるものは少なくなってきた。東京地下鉄のポスターなどにそれが見られるが、その手本がLTのポスターである。
LTの重役で、後に副総裁にまでなった人にFrank Pickがいる。彼は元来実務家で弁護士をやってから鉄道会社に入った。最初は東海岸を走るNorth Eastern鉄道(後のLondon&North Eastern鉄道)の経営陣に入ったが、第1次世界大戦が始まった1910年代に引き抜かれて当時のロンドン地下鉄会社に移った。彼は単なる経営者ではなく、見識があり、PRの重要性を認め、早い時期から宣伝効果に着目していた。ポスターも単なる旅客誘致の手段としてでなく、芸術性を強く求め、多くの商業デザイナーや画家を動員して、良いポスターを描かせた。エリック・ディーンのような大家もいるし、まだ若い無名の画家も抜擢した。これが成功してLTのポスターは、ロンドンの名物になった。
最初の頃、1908年のポスターがこれであり、"No need to ask policeman"と題している。地方からのお上りさんがロンドンに来てまごつき、お巡りさんに道を聞くことになったが、これからは地下鉄に乗りさえすれば、その必要はないというもの。それから後のポスターには芸術的なものが次々と出て来た。第一次世界大戦になると、地下鉄には関係のない戦意高揚的なポスターが出た。これも国家の政策に協力するPickの考え方の一つである。ポスターは具象画が普通であるが、抽象画、現代美術的なものも現れた。
東京の地下鉄の路線図は、路線別に色分けし、駅の所にツメのようなものがあり、乗換駅は丸で示しているが、これはロンドン地下鉄の路線図を手本にしている。この考案者の名は判っているが、特許はとられていない。
このポスターは、ナチス・ドイツが脅威となり、第2次大戦の危機が迫ってきた1936年のもので、戦争協力の意味を含めている。
このポスターは、地上で道路工事のため渋滞が起きても、地下鉄では渋滞はないことを、洒落た図案で示している。
これはなぜ地下鉄のポスターなのかと疑わせるような魅力的な風景画である。
このポスターは「衛兵交替」"Changing guards"とウィットに富んだものである。
この伝統は今でも受け継がれ、ロンドン地下鉄のポスターには金儲け主義的なものはない。これは歴史の深さであり、日本もこの方向に向かうべきである。客に媚びて見えすいた手を使うと逆効果になることを、Pickは20世紀初頭に見抜いていた。しかしポスターに金をかける以上、それに見合う利益を上げる必要がある。芸術と金儲けと相反するものを両立させたのがLTのポスターであり、日本も見習いたい。
(1998/01/25 海外鉄道研究会総会にて)
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