「アメリカ文学と鉄道」序説
海外鉄道研究会会長 小池 滋
「序説」の理由
歴史の浅いアメリカでは、その文学は、他の文化と同じく世界の文学の中で最も若い。科学と同様人が意識的につくった文化であり、印刷術よりも若い文学である。他の国々では記録されていない文学があるが、アメリカのそれはすべて印刷されている。
他の国々では文学が鉄道より先にあったが、アメリカでは鉄道と文学が同時に始まった。1828年に会社が設立され、1830年に蒸機が走り出したボルチモア&オハイオ鉄道である。鉄道と文学は密接不可分であり、資料は豊富に残っているので、短期間には語りきれないため「序説」とした。
詳しくは近く出版される予定の小野清之教授(千葉大学・アメリカ文学)の「アメリカ文学と鉄道」を参照されたい。
ボルチモア&オハイオ鉄道
この米国最初の鉄道のスタート地点ボルチモアはフィラデルフィアに近い市であるが、オハイオは中部の大河の名で、途中にはアパラチア山脈があって、当時の技術ではトンネルを通すことはできず、オハイオの名は努力目標にすぎなかった。[英国最初の鉄道も、鉄道名の地名はとてもすぐに到達できる終点とは思えず、ストックトン(港町)とダーリントン(炭鉱)はそれぞれ近接した地名であった]
その他のアメリカの鉄道名も、現実の目的地を意味していない。西へ向かう開拓の夢がそこにあるため、パシフィックの名をつけた鉄道が沢山できたが、現実に太平洋に達したのはほとんどない。Union Pacific鉄道も途中までである。Atlantic&Pacific鉄道の名さえ実際にあり、まるでイカサマ、不動産屋の広告のようである。鉄道は文明を西へ押し進める国民的指針の象徴であった。
他の国々では道路が四通八達し、馬車が走っていたところに鉄道ができた。日本でも参勤交代の道があった。アメリカでは、鉄道ができるまでは西部は未知であり、鉄道が西部を開拓した。
ボルチモア&オハイオ鉄道開設の際に、アメリカ独立宣言の署名者の一人であった人が、「この式は独立宣言に次ぐ二番目の式典である」と述べたが、これは決して外交辞令でも誇張でもなく、鉄道建設が国家的要請であったことを裏書きしている。
未開の地を開拓するのが鉄道の「神により与えられた使命"Manifest Destiny"」であると人々は考えた。鉄道は国の使命を果たす国民的事業であり、文学にもこれがあらわれた。それが裏目に出たのが、鉄道経営者の私利私欲、先住民族への虐待である。19世紀のアメリカの文学には、この鉄道のもつ表と裏が現れている。
「明るい面」の鉄道
19世紀の詩人Walt Whitman(1817-92)は、鉄道の明るい面を強調した。アメリカは伝統がないので、詩にも固定観念がない(日本では和歌、俳句など伝統を守る)。アメリカの詩は、日常生活でも何でも題材にしたが、それは大胆な優れた行為であった。
Whitmanの詩集は岩波文庫でも出ているが、詩で機関車もうたっている。
「インドへの道"Passage to India"」1871年発表「冬の機関車に寄せる"To a Locomotive in Winter"」
これらは詩集「草の葉"Lieves of Glass"」に載っており、1870年代に書かれたものである。
それ以前にスエズ運河ができて、欧州人にとり、東回りのインドへの新しい道ができた。さらには大西洋横断海底電線と1869年の米大陸横断鉄道の完成で、西回りのインドへの道が出現した。「インドへの道」はこれをうたったUnion Pacific鉄道唱歌ともいえ、同鉄道旅行による地名が次々と出てくる。
英語では機関車を女性名詞で受けている。Whitmanは機関車を女性として詩の主人公にしている。
第1行は「私の序章にお前を採り入れよう」と、美女のかわりに機関車をとりあげ、機関車の細部を綴った。「お前の黒い胴体、煙突、連結棒、車輪−」と、画家が女性の裸体を描くようにSLを見ている。汽笛や車輪音などの音も出る。今読んでも驚かされる新しい感覚の詩で、原文で読めば、オペラのアリアのような音楽的美しさであり、時代を一世紀ほど先取りしたような詩である。Whitmanはこの表現で成功したが、これはアメリカであったからで、明治時代の日本では駄目である。英国のSLでもこうは行かなかった。車輪もロッドも覆われていたので外からは見えなかったからである。
「影の面」の鉄道
影の面は、鉄道建設を有力な武器として私腹を肥やし、先住民に残虐を加えた経営者たちである。連邦政府は膨大な補助金を彼らに与え、線路の両側1マイルずつを私有させた。手抜き工事が行われ、たこ部屋的労働が強制された。
ヘンリー・ディビット・ソーローはこの面を突いて、「枕木1本ごとに人間のSleeperが1本埋まり」とうたった。最初に鉄道建設の人夫として投入されたのはアイルランド人、次に中国人、そして日本人であった。
1869年の大陸横断鉄道完成後、次々と鉄道網ができフロンティアがなくなった。19世紀最後の25年間の西部の開拓は一部の人達が至福を肥やした時代であり、Golden Ageではなく、メッキ時代"Gilded Age"と呼ばれた。土地は金儲けの手段とし、シカゴ取引所などで社会問題が起きた。大学や美術館、図書館などに当時の鉄道関係資本家の名が多いのは、彼らがそれに寄付することにより、罪滅ぼしの免罪符を受けるためであった。
これを描いた文学者は沢山いるが、その一人がFrank Norris(1870-1902)で、自然主義的小説家であった。彼は1901年に書いた小説"The Octopus"で、鉄道経営者を「人間の生き血を吸って肥える怪物の蛸」に見立てた。カリフォルニア州サンホワキンでの資本主義に対する権力闘争をモデルにしたが、ここでの敵はSouthern Pacific鉄道である。線路を横切っている羊の群れにSLが突っ込み、線路に羊の死体が累々と横たわるが、この羊の群れは沿線の農民を指している。
このようにアメリカの文学者たちは、他の国々とは違った形の鉄道に関する文学を残した。
(1996/01/15 海外鉄道研究会総会にて)
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