1991会長講演要旨
"DISCOVER AMERICA"と鉄道

海外鉄道研究会会長 小池 滋

 今日の話の"DISCOVER AMERICA"という皆様ご存じのキャッチフレーズは、日本の国鉄(当時)が借りてきて「ディスカバー・ジャパン」としても定着し、お陰で国鉄は儲かり、関連産業も潤ったようです。
 誤解を招きやすいのは、これが日本でうまく行き過ぎたため、"DISCOVER AMERICA"という考え方も、単なるコマーシャルに過ぎず、商業ベースの企画の一つで、観光産業に国民が踊らされたとすることです。
 これは実態と少し違うので、アメリカの国民心理・意識に関連させて、"DISCOVER AMERICA"は単なるコマーシャル・メッセージやキャッチ・フレーズではなく、これを越えたものであることを、アメリカのため、又その鉄道のためにもご理解下さい。
 これが今日のお話の一番大きな眼目です。

◇アイデンテティ
 アメリカ人の集団的意識の中に絶えず現れる現象はidentityの意識です。
 これは非常に日本語に訳しにくい言葉で、定訳がないので、そのままアイデンテティとしています。
 直訳すると「同一性」、つまりAとBとが同じものであることを証明したり、確認したりすることを意味します。
 私たちの日常生活の中で一番簡単なアイデンテティは、身分証明書です。
 つまりIDカードで、名前が書かれ、写真が貼られ、この者はこういう所で働いているという身分を証明するものです。
 名前と実体の同一性を証明するものがアイデンテティです。
 もう少し掘り下げると、アイデンテティは別の意味を持ってきます。
 単に名前と本人が同一であることが確認されるだけでなく、私は何故今ここに存在しているのか、何故生きているのか、親たちは、又先祖は何をしたか、を尋ねるのがアイデンテティになります。
 日本でこう言ってもあまり実感が沸かないと思います。
 私のアイデンテティは何だといっても、親や祖先が何処で生まれたかの程度で終わってしまうので、日本人の場合はあまりアイデンテティを考える必要はないし、そういう機会も無いわけです。
 ところがアメリカではそうは行きません。
 アメリカ人の一人一人は初めからアメリカ人であった訳ではないのです。
 先住民族のインデアン以外の人達は何処から移ってきた人達です。
 つまりルーツがアメリカに無く、何処か別の所、ヨーロッパやアフリカ、アジアなどにルーツがある人がほとんどです。
 世界的な流行語になった「ルーツ」の本があれほど読まれたのはアメリカであればこそで、日本でいくら私のルーツといっても、他人はあまり関心がない訳です。
 しかしアメリカ人の場合は、自分の親は何処に住んでいたか、どう移ってきたかを何時も考えていなくてはならず、そうしないと自分がアメリカ人であることの証明が出来かねる訳です。
 だからアメリカ人にとりアメリカは自分の国ではなく、よそから移ってきた仮の住まいみたいなもので、根をはやす場所ではない訳です。
 そういう事情があればこそ彼らは根っこを見つけようと必死になるのです。
 あるいは自分がアメリカ人であることをどう証明すべきかを深く考えざるを得なくなります。
 これは文学・文化などあらゆる場合に通用することです。
 アメリカは日本やヨーロッパから比べれば、ごく僅かな、ほんの数世紀の歴史であり、そこでアイデンテティを見つけようとしても無理なので、それ以前の自分は何かを考えることになります。
 逆に言えば、他のアイデンテティを持った私が何故アメリカに住んでいるのか、ということを何時も自分に問いかけなくてはいけません。
 何故私はアメリカ人なのか、何故私はアメリカに生きることを選択したのか、と考えざるを得ないということがアメリカという国の特色です。
 日本人の場合は、先祖代々日本に生まれてしまったのだからしょうがない、今更外に移るのも面倒臭いということですが、アメリカの場合は、自分自身のアイデンテティを何時も問わなければならない必然性がついて回ります。

◇"DISCOVER AMERICA"
 そのことが先ほどの"DISCOVER AMERICA"という考え方を生み出す訳です。
 お前は誰か、何故アメリカにいるのか、と言った時、ではお前はアメリカの何を知っているか、アメリカはお前にとりどういう国か、ということを考えなければなりません。
 これを考えた場合に、自分の回りの狭いアメリカだけを知っているのでは片手落ちであり、当然自分の知らないアメリカを知らねばなりません。
 それを知った上で、自分はアメリカ人であることをもう一度確認します。
 知った場合に、とてもこんな国は御免だとすれば、捨ててしまえば良い。
 何れにせよ、私がアメリカ人であるという、あるいはアメリカに住むということを確認あるいは選択するには、アメリカを知り、見なければいけないという最初の手続きが必要になります。
 そのためにアメリカをディスカバー、文字通り「発見」する必要がある、というのが考え方のスタートです。
 「発見」とは本来、今まで行ったことが無く、存在すら知られなかったものを、初めて見つけることです。
 アメリカを発見したのはコロンブスであり、もっと正確にいうとアメリカ大陸を発見したのは、アメリゴ・ベスプーチだと言います。
 つまりコロンブスやアメリゴがやったようなのが発見なので、既に生まれているアメリカを自分が今更見に行くのが何が発見か、考えてみればおかしな話です。
 ディスカバー・ジャパンもそうです。
 お前が生まれる前から日本はちゃんとあるのだ、という屁理屈をこねたくなります。
 日本の場合はそうかもしれませんが、アメリカ人にとっては、アメリカは完全に未知なので、それを自分の目で発見しなければならず、文字通りディスカバーする必要があるのです。
 そうしないと自分がアメリカ人であるというアイデンテティは生まれないのです。
 これは非常に論理的な考え方です。
 だからディスカバー・ジャパンなどというのは非常におかしいので、日本人の場合はそんな必然性はありません。
 その点で"DISCOVER AMERICA"とディスカバー・ジャパンとは全く質の違った考え方なのです。
 これが一般論であり、ここまでが"DISCOVER AMERICA"というものの社会心理学的、あるいは集団意識に於ける"DISCOVER AMERICA"の問題です。

◇"Making Tracks"
 今度はこれに鉄道がどうからむかということです。
 これに屁理屈をこねるよりも、大変面白い本が出たので、それを紹介してお読みいただくのが良いかと思います。
 去年出た本で、残念ながらまだ翻訳はありません。
 著者はTerry Pindellで、"Making Tracks"という本です。
 1990年7月にニューヨークのGrove Weidenfeld社から出版されました。
 原書は378ページ、値段は19.95ドルです。
 "Making Tracks"は、「線路を造る」とか「鉄道を造る」という意味でしょうか。

 ピンデルさんは鉄道マニアではなく、アメリカ東部の学校の先生ですが、祖父が19世紀にSLの機関手をしていたので、少しはその血が流れていると思います。
 契機の一つは、父が若くして亡くなったこと、もう一つは田舎の小さな町の町長選挙に出て負けたらしいこと、その他の理由もあって、学校を1年休職して、アムトラックの走っている線路を全部乗りつぶして、DISCOVER AMERICAをやってみようという企てをやりました。
 早く言えば宮脇俊三さんのアメリカ版です。
 しかし宮脇さんは日本の鉄道を100%乗っているのですが、ピンデルさんはアムトラックの列車だけを乗ったのですから、実際の%からすれば、かなり低いかも知れません。
 でもアメリカは広いのですから、無理からぬことで、良くやったと思います。
 乗ったのは3万マイル、約7万8000キロです。
 このアムトラックの全線を1988年から1年がかりで乗り、その記録を1990年に出版し、書評でも大きく採りあげられて話題を呼んでいます。
 彼のアメリカ列車旅行は私たち鉄道マニアの発想とは異なります。
 ただ鉄道があるから乗りたいという純粋な趣味的動機ではなく、父の死と、祖父がSLの機関手であったことが大きな意味を持っていました。
 もう一つは祖父のいた時代の19世紀が、アメリカという国の創世とアメリカ国民のアイデンテティ、「俺はアメリカ人だ。どうしてか」との意識が形成された時期になります。
 これは偶然の一致ではなく、アメリカ国民意識の形成と鉄道網の完成は必然的な因果関係を持っています。
 つまり鉄道を造らなければ、アメリカの統一は成らなかったということです。
 アメリカが西部を開拓して一つの国を造るには、鉄道が不可欠であったのです。
 彼らは初めからこれを知っていました。
 鉄道は単なる交通手段ではなく、アメリカ国民としての意識をまとめる背骨の役割を果たしました。

◇アメリカ鉄道の創業
 アメリカ鉄道の発祥は1830年のボルティモア・アンド・オハイオ鉄道で、ボルティモアから24km離れたエリコット・ミルズまで「トム・サム」(親指トム)というSLが走り出したのが最初と良く説明されています。
 この鉄道の起工式に招待された人にCharles Carrol(1737-1832)がいます。
 彼はアメリカ独立宣言署名者の一人で、1828年2月のボルティモア・アンド・オハイオ鉄道の起工式での(93歳の)来賓としての挨拶に、「今日の起工式に出席したのは、私にとり独立宣言に署名して以来の第二の生涯の重要事です」と言ったのは、外交辞令ではなく、本音であったと思います。
 鉄道を造ることは、アメリカの国の基盤を造ることで、独立宣言と同程度の重要な仕事であり、これがなければアメリカという統一国家は出来ないという意識がキャロルさん自身にも、回りの人々にもあったと思います。
 この時の鉄道の名前が面白いのです。
 ボルティモア・アンド・オハイオという名前で、ボルティモア・エリコットミルズというようなケチな名前ではない。
 ボルティモアは出発点なのですぐ解りますが、オハイオは河の名前で、アパラチア山脈を越えた向こう、600km以上も遠くの広大な中西部の大平原を指します。
 このオハイオの言葉の意味は、将来そこにたどり着くという希望的観測を鉄道の名前に込めたものです。
 アメリカの鉄道は皆こうです。
 何とかアンド・パシフィックと付けるが、本当に太平洋までたどり着いた鉄道は幾つあったか。
 小さな鉄道でも何とかアンド・パシフィックと付け、ひどいのはアトランチック・アンド・パシフィックと名付けた鉄道があります。
 このようにアメリカの鉄道の名付け方は、悪く言えば誇大広告、良く言えば彼らの願望です。
 地平線の彼方に新天地がある、我々はそこへ行くのだという、一種の決意表明であり、アメリカ建国の理念と同じです。
 イギリス人はさすがにもっと現実的で、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道は、両端にそういう大きな町が既にありました。
 ストックトン・アンド・ダーリントンなど皆そうです。
 もしイギリスでアメリカのような名前を付けたら冗談だと思われます。
 ところがアメリカではこれが真面目なのです。
 何とかアンド・パシフィックや何とかアンド・オハイオと付けることは、冗談や漫画ではなく、理想なのです。
 建設の彼方には絶えず夢があり、夢があるからアメリカの国は国となり、アメリカ人はアメリカ人としての意識を持ち得るのです。
 アメリカの鉄道は名前からして、片方の起点は現実的ですが、終点の方は絶えず夢・幻の虹の中に霞んでいるという特徴があります。

◇鉄道に乗ってアメリカ発見
 まだあるかないか解らない、誰も行ったことのない虹の土地、謎の土地を発見することがアメリカの建国であり、それを発見したときに自分のアメリカ人としての認識を持つ、だから鉄道を造ること自体がまさにDISCOVER AMERICAであると言っても、屁理屈にはならない訳です。
 そういう背景があってこそピンデルさんが鉄道で、つまり地面に足をつけてアメリカを発見する、それがアメリカ人としての自分のアイデンテティを確立する道であり、同時にピンデルという個人のアイデンテティ確認となったことが、良く理解できます。
 単に鉄道マニアが知らない鉄道を乗ることとは違い、自分の人生にとり切実な問題であったと言えます。
 彼がアムトラックに乗っていると、似たような人間が随分いたそうです。
 鉄チャンではなく、同じ様な希望と目的を持ってアメリカを回る人と何回か出会ったそうです。
 そうでは無い普通の旅客に出会った時でも必ず交わす会話は「何故あなたは飛行機で行かないのか」と聞き、あるいは聞かれることでした。
 これに対する答えは「私はアメリカが見たいから」と殆ど一致していたそうです。
 これは単に物見遊山の旅行である以上にアメリカの発見であり、正にDiscoverなのです。
 アメリカを発見することにより、自分のアイデンテティを確立したいという気持ちがそこに強く働いています。
 以上は"DISCOVER AMERICA"と鉄道との関係です。
 飛行機で行くのではなく、線路の上を汽車でアメリカを見ることが何故アメリカの発見につながるかというと、アメリカの国として統一、あるいはアメリカ人の国民意識の確立と一致しているからです。
 一方、航空網の確立は決してアメリカの国家統一とは一致しません。

◇将来の日本人のアイデンテティ
 今の日本では自分のアイデンテティを改まって考える必要はない状態にあります。
 しかし近い内に、そういう時期が来ると思います。
 家族が崩壊し、自分と地域の関係が崩壊し、日本人という国民意識が崩壊する時に、初めて個人個人が、私は誰、私は何故日本人なのか、どうして日本人になったのか、これから先も日本人であり続けるのか、と鉄道に乗って日本を巡ってみたくなる。
 今度は単なる鉄道マニアの100%乗りつぶしといった好奇心ではなく、もう一つ別のもの、ピンデルさんが迫られたような切羽詰まった問いかけから日本中の鉄道に乗って見て回る−その日本に残る鉄道はかなり少なくなっていると思いますが−正にその時が本当の意味でのディスカバー・ジャパンです。
 観光業者のコマーシャルではなく、一人一人が自分は何かということの探究を鉄道旅行に結晶させる時がやって来る。
 私よりも若い方には、ピンデルさんが持ったような国内での文化ショック体験が決して他人事では無くなる時が来ると思います。
 今日は抽象的で面倒臭い話になったと思いますが、皆さんが体験されれば解ることです。
 決して抽象論ではなく、一人一人の生活と生き方に関係した具体的な問題となって、何時の日にか直面すると思います。

(1991/01/15 海外鉄道研究会総会にて)


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