1990会長講演要旨
A列車と鈍行列車

海外鉄道研究会会長 小池 滋

 アメリカとイギリスのポピュラー音楽で鉄道が出てくるのを紹介します。

アメリカ
 アメリカのジャズ界で代表的なデューク・エリントン(1899-1974)の楽団のテーマ・ミュージックが「A列車で行こう」(Take the "A" Train)で、日本でもよく知られています。
 アメリカの大衆文化における鉄道の占める位置は非常に大きく、鉄道が一部のマニアの関心事であり一般の人からは実用面でのみみられている日本とは違っています。「アメリカの文学と鉄道」については、近く千葉大学の小野清之先生(アメリカ文学)が単行本を出す予定です。
 ポップ・ミュージックでも鉄道はしばしば登場します。
 西部開拓時代ですら鉄道が歌われ、有名な「列車大強盗」のジェッシー・ジェイムズのバラードが広く歌われ、英雄機関士ケーシー・ジョーンズが命を捨てて列車を守ったことのバラードもあります。民衆は強盗でも英雄でも同様に扱っています。「明日に向かって撃て」という映画の2人組列車強盗も実在人物で民衆のヒーロー扱いにされています。
 20世紀ではまずデューク・エリントンがあげられます。黒人で、ジャズの作曲家、演奏家、編曲者、バンド・マスターです。彼の演奏会の幕開きに使ってとても有名になったのが「A列車で行こう」です。
 しかしこの曲の作曲者はデュークではなく、彼の右腕のビリー・ストレイホーン(1915-67)であり、1941年(昭和16年)の作曲です。ビリーはデュークより若かったが、早く亡くなったので、デュークはこれを非常に悲しみました。この辺のことはデュークの自叙伝『A列車で行こう』(邦訳版、晶文社、1985年)p.159あたりに記されています。原題は"Music is My Mistress"(音楽は女主人さま)です。
 このA列車はニューヨーク地下鉄の系統番号の1つです。同地下鉄は歴史的に3つの経営形態を持っており、最も古いのは1904年からのIRT(Interborough Rapid Transit)、ほかにBMT(Brooklyn and Manhattan Transit)とIND(Independent)があり、このINDの系統にA、Bなどの名前が付いています。Aは8th Avenueを通りマンハッタンを抜けていく重要幹線です。複々線で、快速(A列車)と各駅停車(AA列車)に分かれます。東京の中央線の快速電車のようなのがA列車です。
 デュークたちがジャズでこのA列車をとりあげたのは何故か。普通この楽団が演奏するのは楽器だけの曲ですが、この"A列車"には歌詞がついたのもあります。「A列車に乗ればハーレムに行ける」というような歌詞で、確かにそのとおりセントラル・パークの北のハーレムにいけます。
 現在ハーレムは黒人街で、一時は物騒な街とされていましたが、19世紀の初めから20世紀初めごろはニューヨークの白人の中でも最高級の人達の住宅地域でした。20世紀になってニューヨークに私営企業の地下鉄ができ、それが延びる思惑で土地の値が上がりました。地下鉄の延びと土地開発、地価高騰の関係については、中川浩一氏が『地下鉄の文化史』において、ロンドンやベルリンに関して書いています。ところが1910年代頃ハーレムに延びるべき地下鉄工事が遅れてしまい、ハーレムの地価が総崩れになり、そこへ全米から集まっていた黒人たちが大量に住み着いたので、それまでの高級な住人は逃げてしまいました。
 このため1920年代ごろのハーレムは黒人の中心地で、ここに黒人文化の復興運動が生まれ、「ハーレム・ルネッサンス」と呼ばれる音楽と文学の花が咲き誇りました。その重要な一部分にデューク・エリントンらの活動がありました。ここで「A列車で行こう」が生まれた理由が想像つきます。ただし曲が作られたのは1941年で、既にハーレム・ルネッサンスは落ち目になってました。この曲には良き時代のハーレムへの郷愁が秘められています。「A列車」という曲はここまで読み取る必要があり、鉄道が文化のキー・ワードに使われている興味深い例の一つといえましょう。
 もう一つの例はカントリー・アンド・ウエスタンで、その中の巨峰の一人にシンガーソング・ライターのジミー・ロジャーズ(1897-1933)がおります。活躍したのはかなり昔で1933年に若死にしました。1980年代にリバイバルし、アメリカのポッブ・ミュージック界で再評価されました。
 鉄道関係で興味のあるのは、ジミーが本物の鉄道員だったことです。彼は典型的な放浪かたぎで、いろいろな土地でいろいろな仕事をやり"Singing Brakeman"とあだ名されました。彼は実際に鉄道でブレーキマンをしていました。ウエスティングハウスが空気ブレーキを発明し、特許を取ったのは1867年で、1870年代から80年代に全米に広まり、機関車1か所での操作で列車全体にブレーキがかかるようになりました。それ以前は、車両数両に一人ぐらいずつブレーキマンが乗り込み、機関車の汽笛合図で一斉に手ブレーキをかけました。ですからアメリカの鉄道では、ブレーキマンが実に多くいました。ところが空気ブレーキの採用によりブレーキマンの仕事がなくなり、すぐにはクビにできないので車掌助手のような役割になり、車内の雑用や駅名かん呼などをしていました。彼らはもともと力の強さだけを買われて雇われたのですから、他の職種への転職は難しく、ブレーキマンの名で長い間残っていました。
 ジミー・ロジャーズはまさにそういう人で、車内でギターの弾き語りをしていたと思われます。(かつて国鉄高岡車掌区所属の城端線の車掌のシンガーソング・ライターが、「青春18」という歌を流行らせ、その名は現在もなお切符の名に残っており、彼は日本版のシンギング・コンダクターでした)
 こうしてジミーは歌手として評判になり、その歌はカントリー・ウエスタンとして流行しました。彼はアメリカで初めてカントリー・ウエスタンにアルプスのヨーデル(裏声)の歌い方を採り入れました。汽笛の声色を使い、汽車による放浪の旅を沢山歌って流行らせ、アメリカのポップス音楽界に一つのエポックを築きました。鉄道員だった彼の歌が鉄道に関係したのは当然です。
 アメリカ人には一つ所にとどまっていることに恐怖感があり、周囲の一切のしがらみから解放されて自由な旅に出たいという「寅さん」的心境もあって、この欲望が、多くの小説、音楽、映画、芝居に出てきます。この典型が"hobo"で、タダで貨物列車に潜り込んで旅をする人です。その貨車の行き先も分からずに潜り込むので、着いたところが気に入らなければ、また次の貨車に潜り込むといった旅をしました。これがアメリカ人の夢となり、小説家オー・ヘンリー(1862-1910)自身そうであり、彼の小説にはこれが沢山出てきます。(この"hobo"は日本語の「方々」が語源だとする説がありますが、あてになりません)ジミー・ロジャーズの歌にもこのhoboがしょっちゅうでてきます。彼もhoboの気質を持っていました。
(休憩:この間に"Take the "A" Train"のテープを流す)

イギリス
 これからイギリスに移ります。イギリスのポップ・ソングや流行歌は、日本にはゆがめられた形で入っています。ビートルズとかローリングストーンズとかは日本によく知られていますが、イギリスにはもう一種類の流行歌があり、昔からのMusic Hall(日本の寄席にあたる)で18世紀、19世紀のやり方で、一人がピアノを弾き、一人が歌い、時局を風刺したり、駄洒落を飛ばしてお客を笑わせます。この方は日本には知られていませんが、その一つ"Slow Train"(鈍行列車)をお聞かせします。
 演奏はマイケル・フランダーズとドナルド・スオンという二人組の寄席芸人です。マイケルは1922年生まれで、今も生きています。ドナルドも1923年生まれの現役です。二人ともオクスフォード大学出身のインテリです。イギリスにはこのように立派な大学を出ながら、エリートにもならず、ズッこける人が多いのです。この二人の気が合い、ロンドンのミュージック・ホールなどで即興の歌などを歌っていました。主にフランダーズが詞を書き、かつ歌い、スオンが曲をつけ、ピアノを弾いていました。こっけいな歌が多かったのですが、"Slow Train"は、センチメンタルなものです。
 まず二人組の歌の一般的な性格を知るため、ふざけた歌から紹介します。むしろこちらの方が有名で"Transport of Delight"という標題です。これは意地の悪い標題で、鉄道好きの人でしたら「喜びの交通」と訳すでしょうが、実はtransportには「うっとり、恍惚」という意味もあります。ですから英語を理解する普通の人でしたら「喜びでうっとり」の意味にとり、ラブ・ソングか何かと考える方がごく自然のことです。
 実際はこれはロンドンの市バスの歌です。ロンドン・トランスポートによる「楽しい交通」ということで、この冗談で足をすくわれます。その詩の内容は大略次のとおりです。
 「ロンドンには色々な自動車が走っている。その車も人によって好みがある。MGがすてきという人もいる。ロンドンの市バスはダサくて不格好で、モタモタ、ヨタヨタ走っているけど、本当はこれが良いのだ」曲の中には車掌が鳴らすチンチンという音が使われています。色々なパロディが仕組まれています。例えば次の詩が入っています。
"Earth has not anything to show so fair."(地球上これ以上美しい光景はない)
 これは英国の大詩人ウイリアム・ワーズワースが、1802年9月にロンドンのウエストミンスター橋の上でロンドンの美しい風景を詠んだ有名な詩の最初の行です。イギリスの国民なら誰でも知っている詩です。これがいきなり彼らの歌に出てきます。するとそのすぐ後に相棒が車掌の言葉で"Mind your stair."「階段にお気をつけ下さい」とチャチを入れます。次に"Any more fare?"「お客さん、まだ切符のない方はいらっしゃいませんか」このfairとstair、fareが韻を含んでいながらふざけ合っています。最後にスオンがピアノでチンチンという不協和音を出して皆を笑わせるというたわいもない曲です。これからこの歌を聞いていただいた後、センチメンタルな「鈍行列車」をお聞かせします。
("Transport of Delight"のテープを流す)
 「次はまじめな歌"Slow Train"です」とマイケルが説明します。赤字線でつぶれた駅にたたずみ、昔ノロノロここを走っていた列車を偲ぶ歌です。
("Slow Train"のテープを流す)

 鉄道を題材にした流行歌は内外に沢山あると思いますが、案外記録に残らない場合が多く、外国にくらべ日本の方がすぐ失くなる危険が多いのです。皆さんの中には鉄道の歌のコレクションをお持ちの方もいるのではないですか。南さんのお話しでは、"Take the "A" Train"をなんと美空ひばりが英語で歌ったことがあるとか。みんなで手分けしてこういう記録を探して残そうではありませんか。

(1990/01/15 海外鉄道研究会総会にて)


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