2008会長講演要旨
定時運行の士(サムライ)

海外鉄道研究会会長 曽根 悟

 昨年、スイスのテレビ番組から日本の鉄道運営を取材したい旨相談を受けました。スイスでも昨今は定時運行率が低下していることから、「世界に名高い日本の通勤電車の実情を知りたい。そのために適切な取材先を紹介して欲しい」ということだったのです。
 依頼を受け京浜急行を推薦しました。スイスからはSBBのラウベ博士他放送局のスタッフが来日し、金沢文庫から電車の仕業に入る運転士、車掌のペアに仕業終了まで密着取材を敢行されました。
 まずは、番組を見ていただきましょう。

 「定時運行のサムライ」と題された番組の要約

  • 京浜急行を取材したスイス側(放送局)の感想=驚き
    • 乗務員が制服を着用し、ネクタイを締めていること
    • 点呼。その際スローガンを唱和すること(注:社是或いは乗務心得と思われる。スイス側はこれを「軍隊式」と表現している)
    • 交替乗務員がプラットホームで待機すること、重要な作業は指差で確認されること
    • 発車、ドアの開閉、到着が秒単位で行われること
    • 乗客は大変疲れていて、朝だというのに車内で眠っていること
    • 立ったまま寝ている乗客もいるが、混雑しているので倒れることはないこと
    • プラットホームにもルールがあり、列に並ぶことを乗客も心得ていること
    • 乗客の協力無しにダイヤは守れないこと
  • これらをスイスに持ち込むことは不可能だし、乗客もやりたいと思わないだろう。
  • 乗務員は15分の休憩時間でリラックスしている。日本の方式がスイスに持ち込めるとすれば、マッサージチェアである。
  • 京浜急行側は、「普段通りに仕事をしているが、今日は工事の関係からダイヤが30秒も乱れている」と話している。
  • 列車の遅れは20秒まで許容されており、それを超えると報告義務を負う。SBBでは120秒、イタリアでは15分(秒ではなく)である。
  • 乗客が乗り換えずに済むように多方面への分割・併合が行われる。運転士は途中で何度も運転台を移らなければならないのに、ダイヤの遅れを回復した。
  • 取材を通じてわかったことは、スイスの技術では同じことはできないということ。スイスでも列車運行は高度にコンピュータ化されているので、分割併合に伴うデータの遮断と再投入には数分かかってしまう。
  • 運転士は、2時間のラッシュアワーと15回の運転台交代、分割併合を3回済ませてこの日の仕業を終了。3,500万人が活動する都市の定時運行を守るサムライである。
  • 日本の事情から学ぶべきことはあるが、そのやり方がスイスに適しているとは思わない。
  • スイスの通勤者としては、スイスの都市圏鉄道ネットワークには座席がたっぷりあるという良さを認識することになった。

 この後、児井会員からルツェルン都市圏輸送について説明があった。

  • 人口6万人ほどのルツェルンでは、中央駅を中心に9系統のSバーン網があり、日本の同規模の都市に比べて非常に公共交通が発達している。
  • 各系統は等間隔に出発し、列車によっては複線区間の右側を走り、あるいは左側を走るなど弾力的に運営されている。
 これに対し、会長からコメントが付け加えられる。

 SBBは、1982年からTaktfahrplan(タクトファールプラン)を導入し、主要駅の発車時間をパターン化し、主要駅での相互接続化が進められています。これは特定駅だけではなく、主要な接続駅の全てで行われるもので、そのためには主要駅間の所要時間が乗換時間も含めて30分(時隔の半分)の整数倍でないといけません。本来は駅間の距離が違うから所要時間も違いますが、これを遅く走らせてこの条件にしたのでは意味がありません。
 その後の「Bahn2000」計画では直線区間を増やして高速化するなど改良工事が行われ、主要駅間の所要時間を上記の条件を満たすように短縮しました。そして、列車速度を向上するために、信号の改良も行われました。列車速度の向上には、線路だけではなく信号の改良も必要なのです。
 ただ、1時間に10本の運行があるとして単純に6分間隔と解釈しては誤解を招きます。ある列車の到着前後に各方面からやって来て、相互に接続した後は各方面に順次発車していきますから、1〜2分で続行する場合もあるし10分以上列車が無い場合もあります。
 スイスに限らず、ヨーロッパのターミナルではしばしば頭端式になっています。ルツェルン中央駅もそうですね。この形式の駅の場合、左側通行でやって来た列車が右側にあるホームに向かおうとすると、発車しようとする列車と交差してしまいます。しかも、列車の回数が増えれば増えるほど支障の可能性は高くなります。なるべく支障時間を短くするためには、列車の通過速度を上げることと、信号が切り替わるタイミングを通過から短くすることが必要です。
 先ほど例があったルツェルン中央駅付近の複線の使われ方も同様ですね。日本では、複線は左側通行と決まっているのが普通ですが、ヨーロッパでは随所に渡り線があって左側・右側を使い分けています。これならば、左右の線路に同時に同方向の列車を走らせたり、平面交差支障の発生するタイミングを避けるために部分的に右側通行にすることもできます。
 ヨーロッパでは分岐装置の番数が日本より大きく(角度が緩く)、分岐が連続する場所ではスリップスイッチ(ダイヤモンドクロッシングに渡りをつけた分岐器)が用いられています。このため分岐における速度低下が少なく、しかも乗り心地が良い。信号の切り替わるタイミングも早い。同一ホームに2列車が停車する場合も、ホーム進入時に速度低下の少ないように信号に工夫が凝らされていますし、前に止まっている列車が発車せずとも、後方に停車していた列車が発車できるように、ホームの中央に渡り線が設けられていたりします。
 それに対して日本では、安全重視といえば聞こえはいいのですが、列車が通過してから信号が切り替わる余裕時間を多めにとってあります。信号回路の反応を確かなものにするには、例えば編成の両端を電動車にする必要がありますが、日本で徹底して両端を電動車にしているのは冒頭の京浜急行とその直通車両(を走らせている路線)だけです。
 日本では標準化というのが進んでいますが、これも列車の安定走行という視点からは善し悪しですね。スリップスイッチは構造が複雑ですから「高価である」そして「保守が難しい」という理由で、特に標準化以後の国鉄→JRでは基本的に使われません。だからターミナル駅みたいな転線が多い場所では、列車は曲がったり元に戻ったりを何度も繰り返すハメになる。曲線中の分岐というのも使われません。かつては、例えば御茶ノ水駅構内で使っていたのですが、無理に標準型の分岐器に置き換えた結果かえって乗り心地が悪くなったり、分岐側を多数の列車が走行するという保守管理上矛盾することも起こしていたりします。いずれにせよ、極端な標準化は駅前後で速度が落ちたり乗り心地が悪くなったりする原因になっているわけです。
 先ほどの「1つのホームに2列車が停まる」ことも日本でもありますが、これはスイスとは似て非なるものなんです。東舞鶴駅は1面2線の構造で、ここに3列車が停まる場合もあるのですが、編成が1〜4両と短い区間ですから1線に2列車を止められるわけです。けれども、先に到着した列車はともかく、後から着いた列車は駅構内のはずれでかなり長時間停止した後、誘導信号に従ってノロノロとしかホームに入れません。運転回数の少ない場所ですから特に問題はありませんが、都会の通勤電車にはとても採用できない方式です。
 日本では、旧国鉄以来の「何かあったら停める」伝統が今も残っています。たしかに、安全ではあることは重要ですが、安心ではありません。トラブルが起きても、何とかして正常に近い形に戻りやすいダイヤ、設備に改善することも重要だと考えています。

(2008/01/26 海外鉄道研究会総会にて、記録:重田、針谷)


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