2006会長講演要旨
技術面から見たスイスの鉄道

海外鉄道研究会会長 曽根 悟

  1. 19世紀の電気鉄道
     世界最初の電気鉄道は1879年にドイツのシーメンスが産業博覧会で走らせた「おもちゃ」。本格的な導入は1890年のロンドンの地下鉄である。19世紀中の導入は少ないが、その中でスイスは、ユングフラウ鉄道とゴルナーグラート鉄道が1898年に開業して以来、世界の電気鉄道のトップを走る国の一つとなった。

  2. 高い電化率
     1950年代末には実質的に電化率100%を達成。「実質的」といったのは、わざと電化しない鉄道も存在するため。

  3. ゴタルド線用の軽量機関車
     1960年頃に急勾配(27/1000)の連続する線区・ゴタルド線用に質量とも世界最高レベルの機関車が導入され、現在も後継型式が作られ続けている。急カーブ対応としてステアリング台車を使っている。かつては貨物用・旅客用と用途が分かれていたが、最近では区別がなくなっている。

  4. TaktfahrplanとBahn2000
     「Taktfahrplan」とは「接続を良くする」ということ。日本でそれが通用するか否か。
     とある拠点乗換駅が0分基準とすると、各方面からの到着を57分とし、各方面への出発を03分にするという具合だが、その駅だけで対応するなら話は易しい。その接続形態を全線の拠点乗換駅で対応しようとすると、各乗換駅間の所要時間をスピードアップするかスピードダウンしなければならない。
     スピードダウンは好まれないので、停車駅を少なくしたり、短絡線を新設するなどの工夫で「接続を良くする」努力を続けている。以前の0・30分基準から、近年は都市部で15・45分基準も増えてきた。

  5. ETCSの推進役
     欧州の鉄道サービスは基本的に国単位だった。客車だけが各国間を直通し、機関車は交換されるので取扱方法も自国内だけを意識すれば良かった。EUの時代となり、鉄道運行も共通のルールで運用していく考え方が出てきたが、実現するには大変に難題が多い。

  6. EasyR!deの推進と挫折
     「イージー・ライド」と読む。「!」は誤植ではない。JR東日本のSuicaより高機能の共通乗車システムなのだが、時代が早すぎて挫折してしまった。
     スイスは精密機械工業の産物である時計が得意であった。腕時計にICチップを埋め込み、初回登録(氏名・口座番号)をすると、その腕時計を持っていれば、どこの公共交通機関にも乗車できるというもの。欧州の鉄道には改札口がないので、車両に乗降するときに記録する。本来ならば2006年にはスタートする筈だったが、諸般の事情で挫折している。

  7. 日本との技術交流
     スイスは欧州でも運行定時性がダントツに高いことは自他共に認めているが、日本の方がデータ的にも更に高い。スイス人から見て、遅れやすい輸送状況は日本の方がひどいのだが、その点を学びとろうとしている。
     スイスをはじめとする外国からの訪問客に私が見せる場所は京急蒲田駅とJR尼崎駅。京急蒲田駅は大変に貧弱な設備でありながら、きわめて曲芸的なダイヤで乗客に利便性のある列車の走らせ方をしている。
     JR尼崎駅では東西方向・南北方向または東南方向・北西方向の各系統の列車を、殆ど待ち時間なしに相互に乗換ができるような形態をとっている。日本がスイスから学んだ中からうまく日本流にアレンジしたものといえる。

  8. 急勾配鉄道
     その技術はダントツで世界のトップ(というより唯一)を独走している。一般の鉄道でも幹線で27/1000、ローカル線で70/1000、例外的に110/1000の勾配を粘着方式で運転している線区がある。
     勿論、ラックレール式の鉄道もある。ラックレール式のシステムはスイス国外においてもスイス製が広く使われている。最近はケーブルカーの方が多くなってきており、秒速8m〜10mで、一つのシステムで総延長4kmに及ぶものもある。21世紀になってからも坂と平地と両方を走ることができる特殊な床構造のケーブルカーが登場している。

 以上、技術面から見たスイスの鉄道の面白さの一端でも分かっていただければ幸いである。

(2006/01/08 海外鉄道研究会総会にて、文責:森村)


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