2004会長講演要旨
両大戦間の大衆文化と鉄道

海外鉄道研究会会長 小池 滋

 ここでいう「両大戦間」とは、第1次世界大戦終了の1918年から第2次世界大戦が始まった1939年までの20年あまりの時期を指す。この間に文学、演劇、舞踊、絵画、彫刻、建築、写真などの諸芸術が爆発的な発達を見せ、いわゆるモダニズムの時代が到来したことはよく知られている。
 その特色は両極端であった。一方では、伝統や権威に反抗する、いわゆる「前衛芸術」の実験が行われて、一部の「くろうと」から熱狂的な支持を得たが、一般大衆からは無視された。しかし、圧倒的多数の民衆力、教育水準(例えば読み書き能力)の向上や、安価で芸術作品に近づける機会の増大によって、「大衆文化(サブ・カルチュア)」の普及の恩恵を受けることができた。
 こうしたエリート好みの前衛芸術と、大衆文化の融合に、ロンドンの地下鉄道会社が大きく貢献したという事実が、この両大戦間の時期に見られたのは興味深い。
 周知の通り世界最初の地下鉄道は1863年にロンドンで蒸気機関車運転により始まり、最初の電気運転による地下鉄道(いわゆる「チューブ線」)は1890年にロンドンに登場した。最初は各路線が独立の民営鉄道であったが、20世紀に統合が進み、1910年代に「ロンドン地下電気鉄道会社(UERL)」が誕生。さらに1933年には地上のトラム、バスなども統合した「ロンドン旅客運輸公社(LPTB)」成立が国会によって認められた。イギリスではそれまであまり見られなかった、一地域交通独占の最初の事例で、第2次世界大戦後の1947年に、労働党政府の下で国会を通過した鉄道国有法の前奏曲というべきものであった。
 1912年にUERLの重役となり、1933年にLPTB初代副総裁というスピード出世をした経営者が、フランク・ピック(Frank Pick,1878-1941)であった。彼はらつ腕のビジネスマンであったが、同時に民衆のために高い芸術を広める情熱を持つ人でもあった。若い頃に19世紀末の文学者・工芸家・民衆芸術擁護者・ユートピア思想家というマルチ人間ウィリアム・モリス(1834-96)の思想に共鳴したピックは、経営者になってからも、モリスの民芸活動を実現させようと努力を続けた。
 かつては王侯貴族やキリスト教会が芸術のパトロンであったが、いまや民衆が芸術のパトロンでなければならない。資本主義による大量生産が提供する安ものの芸術作品を排斥して、手づくりの芸術品を保護・育成せねばならぬ。これがモリスの主張であった。日本にもその影響を受けた民芸運動家がいた。
 ピックはこの主張を受け継いで、ロンドン地下鉄グループ、後にロンドン旅客運輸公社のポスターや駅舎の制作に、モリスの主張を生かすよう努力した。有望な若手の画家やデザイナーや建築家を起用して、すぐれた作品を積極的に採用した。企業が社会的使命を芸術普及面でも果たすべきことを実践によって示したわけである。
 この時期のUERLやLPTBのポスターを見ると、単なる宣伝やお説教の媒体ではなく、それ自体が高度の美を持つ芸術品であると納得できる。地下鉄の駅舎にも文化財的価値を見出すことができる。ピックは、第2次世界大戦後の日本でも見られた企業のメセナ文化活動のお手本を早い時期に示してくれた先駆者と認めてやってよかろう。
 日本語で読める参考文献として、富士川義之『きまぐれな読書』(みすず書房、《大人の本棚》、2003)の中の「地下鉄の詩」「地下鉄とモダニズム」の2つの章をおすすめしたい。

 英国で出版されたロンドン地下鉄ポスター画集もあり、当日出席者に披露された。

(2004/01/12 海外鉄道研究会総会にて)


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